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愛を分かち合いたい♪

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引越し・同居・ストレス

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引越し・同居・ストレス


農家の本家の長男である旦那さんは、農業高校、農業大学と進んで
しばらく県外の植木業に修行に出ていた。
2年ほどして家に戻り、家業である農業を継いでいた。
(とは言っても畑ではなく、温室で花の苗を作る仕事を自分でしていた)
でも、ワンマンの父親にやることなす事文句を言われ邪魔されて
喧嘩をした挙句、農業を捨ててタクシーの運転手として働き始めてしまった。
何年か、実家とは絶縁状態の旦那さん・・・。

その頃、私と出会い同棲・・・結婚。
当然、義父母とは顔も合わせたことがなかった。
その間、親戚などに色々言われていたが
横浜の地で私達家族と幸せに暮らしていた。

でも、父親の様子がおかしいとか、弱ってきたという情報を耳にして
旦那さんは「これで少しはおとなしくなるかな」と言って
話し合いの結果、農業に戻る事にした。
父親が弱るのを待っていたらしい。
老いては子に従え・・・のことわざ通りに、ワンマンで頑固な父親に
したがってもらう事が、戻る上での約束だった。

結婚を反対されていた私だったけれど、
「ついでに」認めてもらって・・
私達は長年住み慣れた横浜を離れ、旦那さんの実家に同居する事になった。
(2000年3月)
丁度その頃、三女を妊娠していて、引越しも学校の転校手続きも大変だった。
しかも、順調に働いていた勤め先も止めざる終えなかったし、
引越し費用も住んでいたマンションの修繕費も(40万円以上)
全部私の貯金を使ったので、なんとなく始めから納得いかない気持ちを抱えていた。

同じ神奈川県内だし、横浜とそんなに変わらない土地だろうと
たかをくくっていた私だったが、その考えが甘かった事が
引っ越してすぐにわかった。
駅前の便利なマンションに住んでいた私達は
郵便局もスーパーもコンビニも銀行も駅も
全て徒歩2分くらいのところにあって
それを当たり前に生活していたが
引越し先は、駅どころかコンビニさえも車で行かなければならない不便な土地だった。
すぐに慣れるだろうと思っていた。

義父母・祖母との同居も、すぐに慣れるだろうと思っていた。

子供たちが通っている学校も地域も子供会も何もかも
横浜とは違っていて戸惑ったし、
私の印象では、10年前くらいの小学校みたいに
考え方もシステムも先生方も授業内容も古く感じた。
でも、すぐに慣れるだろうと思っていた。

・・なかなか慣れなかった。
友達も出来なかった。
今まで、横浜市内で2回の引越しをしていたが
すぐに友達ができていた。
でも、マンションという集合住宅だったから
友達が出来やすい環境だっただけで、今回は一戸建てだからなんだと
自分に言い聞かせていた。

私は7年ぶりの妊娠で、心身ともにきつかったから
慣れるのに時間がかかるのだろうと思っていた。

妊婦検診に行く産婦人科も自分では決められなかった。
お隣のお嫁さんが行っているからという理由で
行かされたマタニティークリニックも
一昔前の時代の産婦人科みたいに、なんだか事務的で冷たい感じの産婦人科だった。
長女と次女を出産したクリニックが、それはそれは親切で綺麗で贅沢な入院施設だったし、担当医の先生とも打ち解けていて信頼していて
3人目もそこで産みたかった。
でも、あまりに遠いので諦めたけれど
せめて、自分の気に入った病院で産みたいと、色々探した。
そして、見学に行った助産院だけれども、妊婦の心と身体をいたわってくれる先生
が好きになり、そこで産みたいと思った。
でも、すでに8ヶ月。
今更病院を変えるのは不安だからと、義父母に反対された。

そこで始めて、自分の子を産むのではなく、
私が代表でこの家の孫を産むということがわかった。
納得いかなかった。
自分で病院も選べないなんて・・・。

それでも、それが同居ということなんだと、自分に言い聞かせた。
その頃、転校生だった二人の子供たち(当時小2と小5)が
登校班でいじめに合っていたり、
ほとんど無理矢理入れられた子供会のドッチボールチームでも
仲間はずれにされていたり・・・
自分の事ばかり考えていられなかったからだ。

子供達の心のフォローと
一日でも早く地域に溶け込めればと思い
妊婦の身体の引きずりながら、地域の行事に参加したり
登校班について行ったり、
授業参観や懇談会も必ず行っていた。
小学校もものすごく遠かった。
歩いて45分以上かかる。
その長い時間、登校班全員の子に無視されているのだ。

あまりに可哀相で、登校班で行かないでもいいよと
言いたかった。
でも、それではこれから先、ずっと溶け込めない。

横浜では、幼なじみの友達がいっぱいいて
小学校も1学年2クラスしかないから、みんな友達で
こういう試練は始めてだった。

外部から来た人は宇宙人扱いの田舎。
私は、田舎が大嫌いになった。
横浜に帰りたい思いだけが、どんどん、どんどん募っていった。

他にもストレスの原因は沢山あった。
毎日掃除しない家。
1階は6LDKの広い間取り。
玄関ホールは15畳くらいあるし、だから廊下も長くて広かった。
でも、掃除しない。
汚れたらする。雨の日にする。
洗面所もトイレも気になったらする。

私は綺麗好きだから、それだけでも我慢できない。
でも、共有部分だけは、私が掃除すればいいだけ。
妊婦で辛いけど、それでストレスが減るなら、掃除してやる!

だけど、お風呂は自由に掃除できない。
掃除しようとすると
「昨日掃除したよ!」と言ってくる。

お風呂とは毎日掃除するものではないのか???
昨日したって、今日もするんだよ、普通は。
しかも、上と下の家族を合わせて8人が入っているんだよ!
二日洗わなければ、16人が入った事になるお風呂だよ!

理解できなかったし、そんなお風呂に入るのが
嫌で嫌で仕方なかった。
でも、旦那さんが
「これでもよくなったんだよ。二日に1回はお湯を取り替えてくれるんだから。昔は取り替えた事すらないよ」
と言った。

何故、お風呂の掃除をしないのかというと
それは、水道水がもったいないからだという。
昔から、井戸水を使っていたらしく、水にお金をかけるなんて
そんなもったいないことはないと思っているからだ。

お金持ちなのに。
こんなに立派な家なのに・・・。
お水をけちるなんて・・・。

気持ち悪くてバスタブに入れない。
お風呂にゆっくり入れない。
5畳ほどある広いお風呂。
ただ、寒い、ストレスの溜まる入浴だった。
それが毎日毎日・・。3年間はなんとか我慢したけれど
お風呂の時間になると、嫌で嫌で仕方なく、
私はとうとう、階下のお風呂には入れなくなった。
2階のシャワールームに入うようになった。

お風呂好きな私には、(以前は1~2時間はのんびりバスタイムを過ごしてストレスを解消する・・)とてもつらい事だった。



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